泣いて笑って16歳の乙女は
一等工女を目指す!
少女が見た
「明治時代の富岡製糸場」

1873(明治6)年、1人の少女が工女として富岡製糸場に入場します。それが信州松代旧藩士の娘で、後に回想録である「富岡日記」を著した和田英(旧姓:横田)でした。当時16歳だった少女は、やがて器械製糸の指導者として活躍する女性へと成長します。和田英が当時の様子をつづった、「富岡日記」を参考に、明治の富岡製糸場と工女たちの様子をご紹介します。

富岡日記(群馬県立図書館所蔵)

「一人でもいいから富岡に行きたい」自分から父に願い出た英

明治維新後、日本政府は国力強化のための外貨獲得を目指し、製糸産業の育成に取り組みます。そのプロジェクトの目玉が明治5年に設立された官営の富岡製糸場でした。
建設が進んでいた1872(明治5)年2月、明治政府は富岡製糸場で働く工女を全国で募集します。英が暮らす長野県松代では近い将来、器械製糸工場を設立する計画があったため、長野県庁も富岡製糸場で技術を学ぶ女性を募集しました。しかし当時の人々は、外国人が飲む赤ワインを「生き血」と恐れたことから、外国人が指導する富岡製糸場の募集は難航しました。

そんな中、英は自ら参加を申し出ます。すると英の富岡行きを知った地元の少女たちは「お英さんがいらっしゃるならぜひ私も」と定員の16名を超える応募があったと言われています。
16歳の少女の決意に、英の祖父は女性も社会のために仕事をする大切さを説きつつ、「やるからには一生懸命仕事に励んで、決して人に遅れをとってはなりませんぞ」と言葉をかけます。また英の父は、「万事心を尽くして技術を全て学び、今後の松代の製糸工場のためにも仕事を怠けず一生懸命に励むように」と英を送り出しました。

富岡製糸場工女勉強之図
(群馬県立図書館所蔵)

初めて見る驚きの煉瓦造りの建物と「一等工女」への日々

長野から3日をかけて群馬の富岡製糸場に到着した英は、錦絵くらいでしか見たことのない煉瓦造りの建物を目の当たりにし、「夢でも見ているかのようだった」と驚きます。さらに工場内に設置されたフランス式繰糸器の金色に輝く真鍮製の台や柄灼、さじ、繭入れや鉄製の器械にも圧倒されました。

この年に全国から集まった工女は約556名。英にとっては「武士の出の娘など城下町育ちの者は上品で気品があった」と少女らしい印象を書き残しています。
松代から参加した英たち16名の最初の仕事は、繭選場での繭の選別でした。私語は厳禁、風通しの悪い煉瓦造りの建物の中で、積み上がった繭の独特の匂いにむせかえりながら、針で突いたほどの汚れをチェックする日々。
英は同郷の仲間と励まし合い、故郷への手紙には辛いことは一切書かず、くじけそうになった時は父や祖父の言葉を思い出して努力を重ねていきました。
英を含む松代勢(13名)はついに、工女の中でもトップである「一等工女」に選ばれます。
お給料が最上位になるだけでなく、一等台が指定され、良質の繭を任される一等工女は、年功序列ではなく能力給でした。
皆、国元の松代で建てられる製糸場のため、一心で勉強をしてきたかいがあったと天にも上るような喜びようでした。

東置繭所正面(画像提供 富岡市)

お花見で気づいた工女たちの肌の美しさ

英の仕事は糸揚へとステップアップします。繭から引きだした糸を器械の黒い油で汚さないように大枠にかけるという、細心の注意が求められる作業です。しかし、あまりに切れやすい糸に、英は故郷で信心していた伊勢の大神宮様に願いを込めて「糸が切れませんように」と唱えながら仕事を続けていました。糸揚ができないと、次のステップの糸繰りを学べないからです。
毎日何やらつぶやいている英に、周囲の工女たちが心配して声をかけてきます。英は神様にお願いしていることを正直に話しました。そんな英の姿に工女たちが協力してくれるようになり、英の努力もあってついに糸繰りの1人に選ばれます。

緊張続きの日々の中にも楽しい出来事がありました。富岡製糸場の総勢700名(そのうち工女が500~600名)の大所帯で行った「お花見」で、英は工女たちの美しさに驚くのです。
工女たちは仕事のある日中はほとんど日に当たらないため、日に焼けた人は1人もいません。製糸場内で繭を蒸す蒸気を常に浴びていることで、髪の艶も顔色も「町の女性とは比べものにならないくらい、実に美人揃いだった」と記しています。製糸場では毎日風呂に入っていたため、身だしなみもよく「ほれぼれするような美しい人が大勢いて、女の目から見てもとても楽しかった」とその日の事を語っています。

富岡日記より
(群馬県立図書館所蔵)

憧れの一等工女へ、そして「富岡乙女」は全国に

国元での製糸技術者を目指す英は、目標だった一等工女に昇格、1年3ヶ月の修練期間を終えて故郷に帰り、松代の製糸場「六工社」で繰糸技術の指導者として経験を生かした活躍をします。
富岡製糸場では明治6年から明治17年の間に32道府県から延べ3,509名が入場しました。彼女たちは「富岡乙女」と呼ばれ、多くの工女が全国へと巣立って技術を伝えたのです。また、富岡製糸場では工女達に読み書き、算術、習字、裁縫などの教養習得を行い、労働時間の管理や病院設備を設けるなどの環境も提供され、工女達にとっては生活や学びの場でもありました。
このような教養・教育の機会は富岡製糸場の経営が政府から民営の三井家、原合名会社、片倉工業と変わる中でも内容や意義を時代に合わせながら、大切に引き継がれていきました。

英が入場して114年後の1987(昭和62)年、富岡製糸場は操業停止し、2005(平成17)年に片倉工業によって富岡市に寄贈されました。片倉工業は寄贈するまでの18年間については、「売らない」「貸さない」「壊さない」という気持ちで保存してきました。 英をはじめとした多くの工女たちが、泣いて笑って技術習得に励みつつ、青春の日々を過ごした場所こそが、今も残る富岡製糸場なのです。

女工館(画像提供 富岡市)

参考文献:「現代口語訳 信濃古典読み物叢書『富岡日記』」信教出版部 180P

「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録3周年を記念し、
2017年秋『紅い襷~富岡製糸場物語~』が公開されます。

明治初期、生糸は日本の輸出の70%を占めていました。
日本初の官営模範器械製糸工場・富岡製糸場のあらましと、絹を通じて日本の近代化の歴史を築いた若き工女たちの姿を、長野・松代の工女・和田英(旧姓:横田英)の「富岡日記」をもとに紐解いていった作品です。

作品名:紅い襷~富岡製糸場物語~
企画製作:群馬県富岡市
脚本:松井香奈
監督:ドラマ部門:足立内仁章 ドキュメンタリー部門:大谷千明樹
出演者:水島優、吉本実憂、大空眞弓、西村雅彦、豊原功補ほか
【上映開始日】
平成29年10月7日(土)から
【上映映画館】
イオンシネマ高崎、ユナイテッドシネマ前橋、渋谷シネパレス(12月2日(土)~)、名演小劇(名古屋)(12月9日(土)~)
【オフィシャルサイト】
https://akaitasuki.com/
注)上映期間、上映時間については、各映画館が決定します